すをばふのおもちゃ箱

2017年1月16日月曜日

「Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-」というゲーム












始めた時は全然そんなつもりなかったのになぁ。
でもやったら面白かったのでブログのネタにしよう。


前半ネタバレ一切なし。(というかゲームそのものの話をしない)
後半区切り入れたところからネタバレするからまだやってない人はそこまでしか見ないで。





自分がこのゲームを知ったのは、多分去年の11、12月。
とある海外の映画雑誌で組まれていた企画を読んだ時。

「最近のゲームはストーリーが映画みたいにすげえんだぜ!というわけでこんな雑誌を読んでる映画好きなお前らがやるべきゲームTOP50だ!」(といったニュアンスに受け取った)

という企画である。
ちなみに1位は「風ノ旅ビト」だった。(ランキングに興味がある人、とりあえずここでは全部書かないし要望がなきゃまとめないゾ)

ちょうどゲームへの意欲も失せてきた時期。
いいきっかけだったので、そこに書いてある英語タイトルを片っ端からググってメモった。
その中でもひときわ印象に残ってたのが「Everybody's Gone to the Rapture -幸福な消失-」だった。

その時に得た情報は...

「めちゃくちゃ綺麗な農村を一人称で歩くゲーム」

これだけ。

後からわかったことだが、どうやらThe Chinese Roomという小規模なインディーズスタジオが作ったらしい。(インディーズっぽさは感じていた)

とりあえずこんな状態でプレイした人間として言いたいのは一つ。


「それで良かった」

登場人物は?ジャンルは?何をする?チャプター数は?

プレイしながらもずっとこのことばかり考えて。
目隠しされて歩いてるみたいな感覚。
でもそれがゲームの不気味さを引き立ててくれた気がするのでそれでも良かった。
むしろ何も知らない人のいきなりのプレイを勧めたい。

1月中はPS+で無料配信。
定価も2160円と高くはないのでプレイしてみてほしい。


こっからネタバレ。














































筆舌に尽くしがたい

いやまあ、これは決して悪い意味ではなく。
割と新感覚だったので果たして文章にできるんだろうかということで。


とりあえずスクショを幾つか。











PS4 Proにしてよかった。
別にこれは4Kにアップデートされるゲームではないですが。
スクショが3840×2160で撮れるのがありがたい。
画像クリックでフルサイズ開くはず。

グラフィックはとてもいい。
というわけでもなく上の中と申しますか、いいけどインディーズ感はまだある。

ただ、特筆すべきは光を使った演出とオブジェクト配置のセンス。
本当にそこにあるかのような、イギリスのとある農村地区の再現。
人々が消えた終末の世界観。
それを美しく、どこか哀しげに表現する光の演出。
これが群を抜いて素晴らしい。
基本的にHUDは存在しないので、思う存分”己のセンス溢れる”構図で写真を撮りまくってほしい。

とはいうものの、自分で撮った写真はこれだけ。
ゲームのテンポを壊したくなくてあまり写真家ごっこにはこだわらなかった。



次はストーリー。
ここが一番頭の使い所。
主人公はいきなり、誰もいなくなった農村に放り出される。
というか主人公が何者なのか、なぜここにいるのか。
これからどこに行って何をするのか。
情報は一切なし。
道標も(ほとんど)なし。
操作は移動と調べるのみ。
極最小限のゲームデザインで構成されている。


この村全体にちりばめられている光。
これは村人の残留思念とでもいうんだろうか?
この残留思念を一つ一つ見ていくことでこの村で起きた出来事の全体像が見えてくる。

ただ、この出来事は全く時系列に並んでいない。
様々な村人の人間模様が、時系列もバラバラに配置されている。
しかも村を回るルートは、おおよそ決まっているものの自分に任されている。
つまり、「自分が回る順番によって見つける残留思念のイベントの印象が変わる」し、「見つけていないイベントがあるままエンディングにたどり着く」こともある。
下手したら「イベントに一切触れないままエンディングを迎える」ことも出来る。


こういったゲームを最近は「ナラティブ」と言うらしい。



グラフィックもストーリーも良かった。
でも一番印象に残っているのは音楽だった。

曲がいいのはそうなんだが、使い所や使い方がうまい。
いい感じのシーンに、いつの間にか入り込んできてるさりげなさ。
気づいた時にはもう音楽は最高潮になっていて、会話イベントと合わせて心を揺さぶられる。
音楽を使った演出が本当に巧みだった。
曲単体の評価というよりも、使い方も含めた音響演出全般に対する評価でとして、このゲームで一番良かったところとして音楽を挙げたい。



ここの村人はみんな個性が強い。
いかにも閉鎖的な村で、人々の人間模様がうごめいている。
綺麗な農村風景とは真逆のドロドロした人間たち。


キャラクターが多いにもかかわらず、彼らが光の残留思念で外見が一切わからないのも想像力をかきたてる要因の一つ。
メモを取りながらひとりひとりの行動や人間関係をまとめていった方がわかりやすかったかも。
でも豪華声優陣の迫真の演技があるので、決して物語が分かりづらいと言うことはありません。


おそらくケイトとスティーブンという科学者の夫婦が「何か」を見つけて育てた。
それが人々に感染していった。
感染すると頭痛や鼻血が止まらなくなる。
最後にはみんな光になって消えてしまった。
スティーブンは「何か」を封じ込めようとした。
ケイトは「何か」を理解しようと融合した。
「何か」とは何だ?


主人公が何者で何故村に来たのかもわからない件。
恐らく主人公に特別な役割や設定はそもそもない。
事象の観測者としてそこにいるだけ。
それ以上でもそれ以下でもなし。


やはりどうしても考えちゃうけど細かいところは放っておいた方がロマンがあっていいのかも(というか答えはないのかもしれん)
こういう考えない方がいいってわかってるのに考えちゃう話は大好きだけど眠れなくなるから苦手だなぁ・・・(どっちだ



気になったのは街のあちこちにある聖書。
あの神父やおばあさんは熱心なキリスト教徒のようでした。
上のスクショにも十字架にまつわるオブジェが。(ここでは神父がおばあさんに神の赦しを説いていた)
そしてゲームのタイトルでもある"Everybody's Gone to the Rapture"
Raptureの翻訳に悩みましたが、一ついい言葉を発見。
それは「携挙」です。

携挙:キリストが天から再臨するときに、地上のキリスト教徒が不死の体になり空中に持ち上げられてキリストに会うと言う出来事を指す

"Everybody's Gone to the Rapture"をアホみたいにざっくり直訳すると「みんな携挙した」となります。
どうやらがっつりSFな世界観を、携挙になぞらえて展開していく哲学的なゲームだったようです。
空から落ちてきた「何か」によって消失してしまった村人たちは、まさに天から再臨したキリストに不死の体にされて空中に持ち上げられる教徒。
ケイトが言っていた時間からの解放(?)だかなんだかというセリフも「不死」を連想させる。
(なんでもエヴァに例えやがってと思うかもしれませんが人類補完計画っぽい)


幸福な消失という日本語のサブタイトルも、Raptureがキリスト教徒にとって喜ばしいことだからと言うことでついた名前なんでしょうか。
ていうかRaputureという単語に馴染みがない日本人は、この「幸福な消失」というサブタイで救われてると思う。
下手すりゃ近年稀に見る、ここ数年で最高のローカライズタイトルなんじゃあないだろうか。


思い返せば、キャラクターが消失する瞬間ってみんなどこか幸せそうなんですよね。
他の村人との諍いや、自分の中に抱える何かが解決して救われた感じ。
「何か」がそれに関係してるのかはわからないけど、やはり携挙である以上、救われることとは因果がありそう。(神父の消失は光も音楽も美しすぎた)


なによりこのゲームを咀嚼する上で、異文化の価値観に関する勉強は避けられない。
小さいところで言えば、キャラの本名と愛称が結構かけ離れているところ。(キャサリンの愛称がケイトみたいな感覚は日本人にはないのではないか)
サマーキャンプなどといった慣習にも馴染みがない。
きわめつけはキリスト教の価値観。(携挙がどれほどありがたいことか等)
文化の違いによるものは仕方がないのだけれど、知らないと楽しめないというのは何にでも共通することである。
キリスト教圏の人たちがこのゲームをやったら「あーなるほど」がきっと多いんだろうなぁ。
でも日本人も神頼みはするけどね。


いろいろググってたらやっぱりSF小説の引用も小ネタレベルまで結構あるみたい。
大学で電波の勉強もっとしとくんだったなぁ。

カオス理論の蝶のマークや、数列で喋る「何か」など、理系のトップでないとわからないような暗喩が多くてなかなか困りものではある。



多分二週目やったらイベントの印象も変わって面白いんだろうな。
しかし受け止めるにもパワーがいるので、しばしお時間いただこう。


あと、上の方でナラティブと書いたけど、これまで遊んできた中で一番ナラティブ的なゲームだったと思う。
光となった結果、時間の概念はなくなり、1984年6月6日6時7分で時間が止まった。
そして、過去の出来事が残留思念として時系列問わず同時にあちこちで観測できるようになった。
主人公は観測者としてそれをひたすら体験していく。

この体験量によってゲームの印象が変わってくる。
無人の村を散策し、何が起きたか、人々は最期の時に何を想ったか、断片的な情報を集めて繋げる。
プレイヤーがいくつのイベントを見たか、どういう順番で見たのか。
様々な要因で、プレイヤーごとに「村での冒険」という出来事の、「経験した思い出の形」が変わる。
まさにゲームでの体験を自分の経験に昇華している。
プレイヤーの想像力と考察の深さがそのままゲームの結末や評価につながるような。


ナラティブについて思う所感をまとめようとしたけどいまいちまとまらなかった記事です


アホみたいに長く書いた(しかもまとまらないし今からまとめるのもしんどい)総評すると


「科学と宗教が交錯した、哲学的でどこか詩のようにプレイヤーに問いかける。良いSFミステリーゲーム」

でした。(クリストファー・ノーランの映画とかもそんな感じだよね。好きです。)





(駅から戦闘機の空爆を見た時、ババアのそばで空爆を真下から見たことを思い出して、気づいたらちょっとうるっときてたのは内緒ね)



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