すをばふのおもちゃ箱

2017年1月26日木曜日

空に目と銃がある世界「アイ・イン・ザ・スカイ」



「アイ・イン・ザ・スカイ」

ドローンを用いた軍事作戦を舞台に、人間の正義やモラルを問いかける映画。
ちょうど一年前、2016年1月に亡くなったアラン・リックマンの遺作である。
去年の年末公開された映画で気になってはいたのだが、近所で最近公開されようやく見に行った。
想像以上の傑作で早くも2017年ベスト10の一枠が埋まってしまったので強くお勧めしたい。

タイトルになるドローンのターゲットカーソル













この映画はキャラや場所が多く転々とするので、覚えてる限り先にまとめておく。





登場人物

イギリス

[ロンドン]常設統合司令部






















キャサリン・パウエル大佐(ヘレン・ミレン)
イギリス軍諜報機関将校。常設統合司令部司令官。今回の米英合同テロリスト捕獲作戦を指揮する。部下から「マム」と呼ばれるかっこいいおばあさん。情はあるが厳しい判断も下せるベテランの指揮官。









ムシュタク・サディック軍曹(バボー・シーセイ)
情報部員で大佐の忠実な部下。ドローン攻撃により発生する付随的被害の計算を行う。パンフレットでは誤訳で伍長にされてしまった。











名前忘れたけど法務担当の人。(DVD買ったら確認して追記しよう)これから行うことが法的に問題ないか助言をくれる。

[ロンドン]国家緊急対策委員会(コブラ・オフィス)










フランク・ベンソン中将(アラン・リックマン)
国防副参謀長。司令部から上がってきた意見を審議する委員会に軍から参加している。孫へのプレゼントを買った足で作戦に合流。


ブライアン・ウッデール(手前)
政府から作戦に参加している閣外大臣。


ジョージ・マシソン(リチャード・マッケイブ)
イギリスの司法長官。委員会の法律担当。
















アンジェラ・ノースマン(モニカ・ドラン)
政務次官アフリカ担当。民間人を巻き込む爆撃に断固として反対する。
















ジェームズ・ウィレット(イアン・グレン)
シンガポールに外遊中の外務大臣。ロブスターでお腹を壊している。

アメリカ

[ネバダ]ラスベガス郊外クリーチ空軍基地




















スティーヴ・ワッツ少尉(アーロン・ポール)
アメリカ空軍所属のドローン操縦士。天空の眼による監視任務の経験はあるが、ターゲットを殺害したことはない。トリガーを直接握る重圧に苦しむ。










キャリー・ガーション(フィービー・フォックス)
上級航空兵。ワッツ少尉のサポートを行う副パイロット。











エド・ウォルシュ中佐(ギャヴィン・フッド)
ドローンチームの指揮官。演じているのはギャヴィン・フッド。この映画の監督だ。











名前は忘れた通信兵っぽい人。

[ハワイ]パールハーバー画像解析班











ルーシー(キム・エンゲルブレヒト)
ドローンから届いた画像を解析する画像分析官。該当のターゲットで間違いないかはここで判断する。

[ホワイトハウス]











ケン・スタニック(マイケル・オキーフ)
北京へ外遊中の国務長官。











ミズ・ゴールドマン(ライラ・ロビンズ)
国家安全保障会議上級法律顧問。という立場から見解を述べる。

ケニア

[ナイロビ]テロリストの隠れ家周辺




ジャマ・ファラ(バーカッド・アブディ)
ナイロビの現地工作員。演じるのはキャプテン・フィリップスの海賊役で迫真の演技を見せ、アカデミー賞やゴールデングローブ賞にノミネートされた実力派ソマリア人俳優。今作もソマリアが近いので実に馴染む。

アリア
テロリストの家の隣に住む9歳の少女。爆撃被害範囲の中で彼女がパンを売り始めた事で、作戦は大きな修正を余儀なくされる。














アブドゥラ・アル・ハディ(デク・ハッサン)
被害アフリカ最重要指名手配テロリスト第4位の男。家の中で構成員の身体に自爆ベストを巻きつける儀式の真っ最中。












アイシャ・アル・ハディ(レックス・キング)
東アフリカ最重要指名手配テロリスト第5位の女。英国人で本名はスーザン・ダンフォード。過激思想にとりつかれ改宗した。











現地の特殊部隊を指揮する少佐。




ドローンと戦争

こう書くとSFに見えるかもしれないが、ドローンを用いた戦争はもはや当たり前になっている。オバマ大統領時代、テロリストに対するドローン攻撃は500回近く行われ、約2500人が殺害された。これは、テロリスト、民間人やジャーナリスト、人質など全て含めた数である。(というかミサイル攻撃すると身元確認できなくなる場合もある)











映画に登場した無人機は、MQ-9”リーパー”。アメリカ軍はRQ-1”プレデター”を退役させ、全てリーパーに置き換える真っ最中である。つい2週間前も、B2爆撃機2機と編隊を組んでISISの訓練キャンプを空爆し、80人以上の戦闘員を殺害した。

また、ドローンはこれだけでなく、ハチドリ型、昆虫型の小型カメラ搭載無人機が登場する。ドローンとは無人機を広い意味で統括する言葉であり、ミサイルを積んだ攻撃機のことではなければ、リモコンで操作して飛ばすプロペラがいっぱいついたアレのことでもない。映画の中では、虫型のドローンを飛ばし、テロリストの家の周りや中を偵察する。だが、もしこれに爆弾をつけていればどうなるだろう。誰かの首元に止まりスイッチを入れれば、一人くらいなら確実に殺せる。要は「技術は使い方次第」ということだ。いつかこんなドローンが当たり前の時代が来るだろう。銃をつけたドローンが街中を飛び回り一般人を監視するSFな社会は目の前に迫っている。普通に生活していたら突然空からミサイルが降ってくる、テロリストたちや巻き込まれるほどそばに住んでいる人たちは、すでにそんなSFの中を生きているのだ。人権についても考えさせられる。

ドローン・オブ・ウォー

ここで紹介したい別の映画がある。2015年に公開されたイーサン・ホーク主演の映画「ドローン・オブ・ウォー」である。



















イーサン・ホーク演じる主人公は、ラスベガス近郊の米空軍基地から、1万km離れたアフガニスタンのテロリストを監視、空爆する任務を遂行する空軍兵士。衛生経由の遠隔操作が行えるのドローン。このような無人機運用に関して、殺人の実感がわきにくいゲーム感覚の行為、という批判もある。だが、それを一番理解しているのは当のパイロットたちだ。
操縦者たちは安全な基地内のクーラーの効いた部屋でスイッチ一つでモニター越しに敵を殺すこともある。そして仕事が終われば近所の家に帰り、週末は子供のサッカーの試合に行き、またコンテナに戻ってテロリストを監視、殺害する。通常の戦場とは違い、この日常と非日常が入り混じるあり得ない生活を送る兵士の心には凄まじい負担がかかる。実際、戦場に派遣されている兵士とドローンパイロットだと、PTSDになる確率が高いのだ。(頭の切り替えが追いつかない方が戦場に行きっぱなしよりも負担が大きいというのは興味深い)
また、ドローン攻撃のモニターには音がない。大爆発が起きても無音だ。それがまた、現実感の喪失を加速させ、ストレスの理由にもなっているだろう。
10時間以上座り、監視し続けるきつい仕事である事、上記のようなありえない環境での精神疲労など。多くの理由から毎年数百人のパイロットが退職している。新人の補充もあるが、離れていく人数の方が多く、米軍の課題の一つにもなっている。

主人公の人格や家庭がどんどん崩壊していく様が、そしてドローン攻撃のリアルな現状を描いているのが面白かった。登場するドローンも同じで、基地の位置やドローン操縦のコンテナも一緒というアイ・イン・ザ・スカイと是非比べて見たい映画だ。(個人的にはミサイル発射の手順確認がヤマトの波動砲準備のようなロマンを感じる)
原題は”GOOD KILL”なのだが、オチのアレをグッドキルとして描くあたり、まだ救いのある映画だったのかもしれない。



どちらの映画もこんなコンテナが出てくる























「ドローン・オブ・ウォー」が”一人のドローンパイロットの苦悩”に焦点を絞った映画だとすれば、「アイ・イン・ザ・スカイ」が描いたのは”ドローンを使用した作戦に関わる全体”を描いた映画だ。(もちろんドローンパイロットの苦しみも描かれる)
私がこの映画をオススメしたい人は「シン・ゴジラの会議シーン」が大好物だったひとたちだ。去年シン・ゴジラの感想は各所で目にしたが、その中に「この責任のなすりつけあいの様なお役所的命令のたらい回しはアメリカ人にはわからないだろう」というものだ。確かに洋画はすぐに銃をぶっ放す。だからこそシン・ゴジラの、命令系統を順繰りに回り、機銃を一発撃つのも一苦労なことを懇切丁寧に描いた演出は目新しく、攻撃作戦に重みがあると観客にウケた。あの感覚は外国人にはないと方々で言われていた。しかし、アイ・イン・ザ・スカイはまさにそれをやってのけた一作だ。

一軒のテロリスト隠れ家に、最重要指名手配リストの上位の二人と、自爆テロの準備をする二人の構成員が集まっているのを発見した米英合同チーム。ミサイルで全てを吹き飛ばそうとしたところ、家のそばで少女がパンを売り始めてしまう。少女を巻き添えにしてでも自爆テロを防ぐか、法的/政治的正当性、国内外への印象、様々な要因が絡み、ミサイルのスイッチを入れるか、決断をせまられる。


キャスティング

監督が脚本を見出した時、ヘレン・ミレンの演じる大佐は男性だった。しかし監督はここで女性大佐という判断に踏み切った。男だけじゃない、男女の入り混じる映画にした結果、この映画の窓口は広がったと感じる。女性ならば子供は殺せないとためらうだろうという古典的な思考を逆手に取ったキャスティングだ。(そういう役は政務次官がやってくれている)
アラン・リックマンの中将の風格は圧倒的だ。ベテランの演技力は絶対であり、本当にベテラン軍人がいる様な雰囲気を醸している。冒頭におもちゃを買うシーンがあるが、どのおもちゃを買ってくればいいのかわからない、月刊コロコロと別冊コロコロがわからないお使いのオカンのような姿だ。しかし、一度作戦室に入れば、冷酷な命令も出せる軍人だ。このギャップを見せることは、軍人の仕事とプライベートの切り替えの大変さを物語っている。
アーロン・ポール演じるワッツ少尉も良かった。彼は唯一、大佐の命令に逆らおうとする存在だ。引き金を引く決断をするのは上のみなさんだが、実際に引くのは彼である。そんなジレンマを抱える演技に引き込まれた。
そして最も感服したのが、「映画に事態を邪魔する無能がいない」という点だ。(ここもシン・ゴジラっぽい)大抵映画には足を引っ張る無能か、倫理的に悪役に分類される存在がいる。もしこの映画にそれを配置するなら「ガキ一人がなんだ!!さっさと撃ってしまえばいいだろう!!!」とうるさく主張する太った軍人だろうか。だが、この映画にはそういう人がいない。みんなが自分の立場から正しい見解を述べているだけだ。少女ごと吹き飛ばしても構わないと、本気でそんなことが正しいと思っている人は一人もいない。みんな仕方なくそう言っている。そして、観客に「あの人は自分の職務を全うしてるだけなんだ」と思わせる説得力のあるキャラクターを作れたのは、やはり、ヘレン・ミレンやアラン・リックマンのようなベテランが演じたおかげだろう。

キャラクター以外にも、緊張が続く展開ながら適度に挟まるユーモアの入れ方が上手い。下手な入れ方なら流れや緊張が途切れ、観客はイラついてしまう。その絶妙なバランスは、ベテラン監督の手腕だ。




ネタバレあり所感

ゴジラとも比較したが、あの会議シーンのような演出にこんなにすぐまた出会えるとは思っていなくてひっそり歓喜した。カメラワークの演出なんかも微妙に似ている。ヘレン・ミレンが(顔も役柄も似てるので)余貴美子の花森防衛大臣にしか見えなかった。ドローンによるイスラム過激派への攻撃というデリケートなテーマだけに、各所への配慮も目に止まる。特にイスラム教徒を悪にしない気づかいは印象深い。

今回、米英軍の攻撃に巻き込まれるアリア。彼女の家もイスラム教だが、父親はそこまで熱心な信者ではない。父親は周囲の過激派に隠れて、娘に教育を行ったり遊べるフラフープを与えている。(服も家にいる時は薄着だ)そして、それを咎める人を狂信者と呼んでいる。タリバンが学校に通う女性を攻撃対象にしたりするなど、イスラム教の過激な解釈を見たことがあったのでこのシーンはよく覚えている。
少女アリアが過激思想に染まっていない家庭の子であり、その幸せな家庭の様子は冒頭でたっぷり描かれた。だからこそ観客に彼女一人の命と他の数十人の命を天秤にかける難しさが生まれたと思う。
最後にアリアが空爆で負傷するシーン。爆発を見て駆け付けた過激派に父親が助けを求める。ここで驚いたのが、「過激派がトラックの機銃を急いで外しその場に投げ捨て、一家を乗せて病院に直行した」ことだ。テロ組織に加担する狂信者だから、下手したら殺されるんじゃとまで考えていたが、まさか助けるとは。先入観というかなんというか・・・。自分も少しおかしかったのかもしれない。

大佐に対する返事について。軍曹は大佐に忠実な人間なので「イエス、マム」と言う。一方で少尉は「イエス、カーネル(大佐)」と答える。ここにも部下の心情が表れていてうまいと思った。
大佐本人は、少女に構わず攻撃を選ぶ人物として描かれる。人によっては彼女にイライラするかもしれないし、正しいと思うかもしれない。個人的見解はさておき、彼女は彼女で苦労している。何年も探していた最重要手配犯が揃って一つの家に入っているのだ。こんなチャンスは滅多にない。客観性を失ってしまうのも当然だろう。

現地工作員のジャマの役柄も気に入った。子供を巻き込むまいと尽力する姿。(軍事予算だし当然だが)羽振りもいい。アブディの演技は今回もとても良かった。

国務長官は「さっさと撃て」と一言で切り捨てると、外遊先の中国人との楽しい卓球に戻っていった。委員会の議論や少女の姿を実際に見ていない彼があの態度をとるのは案外当然かもしれない。ただの冷酷な議員で終わらせるキャラではなかった。

法務関係者は法的には正当という見解を示すが、なかなか攻撃に踏み切れない原因はいわゆる世間体だ。もしドローン攻撃の映像が漏れたら?革命はYoutubeから起こるという外相のセリフの通り、もし少女を巻き添えに攻撃したことが世間に漏れれば、一人を犠牲に80人を救っても、バッシングはさけられない。ドローン攻撃がどう思われるかというプロパガンダ戦争も絡んで判断が難しくなる様を描いている。

緊張感を持続させる演出。3つの部屋と現地の会話劇だけで映画を持たせる演出力が凄まじい。特に、テロリストが爆弾の準備をするところを監視していた昆虫ドローンの電源が切れるところ。「目」を失った彼らの慌てふためく姿に、こちらまで本気で焦ってしまう。テロリストの動きがわからない。もう一刻の猶予もない。目を奪われる事で巻き起こる焦燥感。ここは映画のピークと言ってもいいと思った。


軍曹が算出した少女に対する付随的被害は、65%以上だった。電撃参戦した英国首相に「極力へらせ」と命じられ、50%以下にならねば攻撃できなくなる。大佐は必死に少女が助かるであろう着弾地点を探す。しかしどんなに計算しても45〜65%で少女が死ぬ結論しか出ない。大佐は苦渋の決断でミサイル発射を指示。報告書には45%だったと記すよう軍曹に命じる。最低ラインで45%という数字が「一応」出たことは、自分の良心を誤魔化せるギリギリのラインだったのだろう。
着弾の被害範囲








ミサイル着弾後、ドローンパイロットには辛い仕事が待っている。遺体の確認である。自分がスイッチ一つで吹き飛ばしたターゲットの遺体をまじまじとカメラで拡大し、きちんと死んでいるか確かめなければいけない。これもパイロットの大きな負担の一因だ。

作戦終了後、中将は早々に部屋を後にし、孫へのプレゼントを持って家に帰る。指揮をとった大佐も、自分の判断に納得する努力をするように渋い顔で家に帰る。ワッツ少尉は、テロリストに初めて引き金を引いた事、弱ったターゲットにとどめのもう一撃を撃ち込んだ事、少女を巻き込んだ事によるストレスでかなりすり減っていた。果たして彼はもう一度コンテナに戻れるのだろうか。それは結論が出ないまま終わった。

そして巻き込まれた少女は結局病院で死んだ。散々に議論を重ね、最終的にミサイルを撃った米英軍の人たちは、その事を誰一人として知らない。普通に朝起きて勉強し、パンを焼いて売りに行ったら突然空からミサイルが降ってきて死ぬのだ。事情がわかっていても身勝手な話に思えるのではないだろうか。



最後に

刻々と変わる状況に議論を重ねるだけなのに約100分映画を持たせている凄まじい演出。緊張感を持続させる編集が素晴らしかった。この映画を監督したギャヴィン・フッド監督はX-MEN ZEROも監督した。デップー関係で批判が多いが、一本の映画としては実によくできてたお気に入りの一作だ。なのでこの映画の監督がフッド監督と知った時も納得感しかなかった。

ドローン・オブ・ウォーは救いがある映画と言ったのは、主人公が最後に心の救いを得るからだ。この映画は誰も救われない。ビターエンドをかみしめつつ、この監視技術が一般化された世界に思いを馳せた。「空の目」による戦争の新時代の到来。これはSFではない。今起こっているリアルなのだ。












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